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世界最高の治安の良さ「日本」で生活する安心感は何者にも代えがたい

あるカフェの店内。

その日私は、お昼時で満席状態の店内の一席に腰掛け、読書をしていました。
いつものように、イヤフォンのノイズキャンセルをオンにすると、それまでのざわめきがかき消され、読書に集中できる環境が整います。

カフェの様な騒がしい場所でも、比較的集中して作業に打ち込めるタイプの私ですが、唯一集中が途切れてしまう瞬間があります。
それは、隣のお客さんが席を立つ時です。

カフェというのは、基本的に席の間隔にそれほど余裕を持って配置されてはいません。
周りの状況をあまり気にしない性格の人は、席を立つ際に、平気で隣のテーブルにヒップアタックを御見舞してきたり、テーブルの脚に自分の足を引っ掛けたりしてきます。

「振動で飲み物がこぼれるかもしれない。」

肝っ玉の小さい私は、そんな不安から、隣に座る人が腰を上げる瞬間だけは、否が応でもその動きが視野に入ってくるため、気になって集中が途切れ、ちょっとした緊張感が走ります。

その日隣にいた学生風の若い男性は、私のテーブルに接触しないように少し気を遣う素振りを見せながら、ゆっくりとテーブルの間をすり抜け、カップを返却して店を出ていきました。

その様子を、安堵感とともに見送った直後に、今回のテーマとなる出来事が起こったのです。

日本人であることの誇り

table_wallet

私の隣に座っていた男性が退店した直後、一人の女性がその席に近付いて来ました。混雑する店内でやっと席が見つかったといった様子でした。

制服ではないものの、オフィス向けの大人しめのファッションに身を包み、肩にカーディガンを羽織った”ザ・OL”という格好をしたその女性は、これまた”ザ・OL”というような分厚い財布を胸の前で両手で持っていました。

そして次の瞬間、私は信じられない光景を目の当たりにしたのです。

なんとその女性は、席に辿り着くなり手に持った自分の財布を開き、中から千円札を一枚抜き取ってその財布を閉じました。
そして、なんと、

テーブルの上にその財布を置き去りにして、注文カウンターへと向かったのです。

私の隣の席には、誰もいないテーブルの上に、ポツンと財布のみが置かれている状態です。

私がそれを目撃している現場は地下のフロアで、注文カウンターは階段を上がって1階にありました。したがって、もちろん注文カウンターからはその財布を確認することは出来ません。

席をキープするということ自体はよくあることです。
自分のカバンや上着等を席に置いておくことで、その無人席をキープしているという意思表示をしておく、アレです。

しかし、しかしです。
今回、その主張主は、財布です。

私は、それを目の当たりにした瞬間、なぜか、

「これは、日本以外では考えられない光景だろうな。」
「日本人以外は絶対にしないであろう行動だな。」

そう感じました。

そしてこんな話を思い出しました。

ある外国人男性が日本へ旅行に来た時の話です。
その男性は、まだ携帯電話が普及する前で、日本に到着直後、友人へ連絡するために公衆電話ボックスを利用したそうです。その際、財布やパスポートやカメラなど、こまごまとした肌身離さず持っておくべき小さなバッグを公衆電話の上に置いて話をしていました。

電話が終わり、次の目的地へ向かうためタクシーに乗り込み、日本の観光ガイドブックなどを見ながら色々と旅の計画を再確認していた時、ハッと気が付いたのです。
バッグを電話ボックスに忘れて来たことを。

男性は慌ててタクシーの運転手に、そのタクシーを拾った場所まで戻ってもらう様に伝えました。

そして祈る気持ちで電話ボックスに戻って来たところ、そこには、バッグがポツンと佇んでいたと言います。
その間、1時間弱、そこそこ人通りのある通り沿いの電話ボックスで、比較的目立った場所に設置された公衆電話の上に放置されたバッグが、小一時間そこに鎮座していた訳です。

タクシーで引き返す道すがら、その男性はバッグが無事であることを祈りつつも、半分諦めていたと言います。
しかし、現実には、無傷のままの状態で自分のバッグが手元へと返ってきたのです。

そこでその男性は、事前に話には聞いていた日本の治安の良さというものに改めて気付かされたと言っていました。

話を、例のカフェの女性に戻しましょう。

財布をテーブルに放置したその女性は、セキュリティの感覚が弱すぎると批判されるかもしれませんが、それを見た瞬間に、私は少し嬉しくなったのも事実です。

「日本は本当に良い国だな。」と改めて誇りに感じたからです。

日本へ旅行に来た外国人の例のように、日本の治安の良さに驚いたというエピソードには事欠きません。

平和ボケと揶揄されるかもしれませんが、皆が身の安全や生活の保障などの最低限の不安要素を感じずに生きることができる社会が実現されているという点で、日本は本当に良い国であると感じるのです。

今まで取り上げられて来なかっただけなのか、実際に事件の数が増加しているのか、定かではありませんが、最近では、凶悪な事件や悲しいニュースを目にする機会も増えて来ています。

我々日本人にとっては当たり前である、安心して暮らせる環境を保持しなければならない。そしてそのためには、何が必要なのか。

そんなことを考えさせられる出来事でした。

 

 

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